知の共産主義ー哲学論文に注や引用は無意味であるー

哲学的知というのは

人類が主体となる知である

 

「誰々の哲学」のような言説が

世間を蔓延っているが

 

過去2500年間、誰一人参照しない

無からの思索などありえなかった

 

知は人類の共有資産であり

所有権など原理的には不可能だと思う

 

哲学に注や参照をつけるスタイルは

ここ数百年の科学化する人文学の流れの中で

主流となってきた

 

しかし私としては

知は共有されるべきであり

誰もが自由に発言し

その発言に対して議論を交わしていいものと思っている

 

だから私は注や参照をつけるスタイルの哲学論文を書くのをやめ

ブログで自由な知の結晶を表現していきたい

 

そこから議論をしようではないか