夏が本番!セミの気持ちでやれ!

夏休み。

どうせ君らはダラけるだろうから言っておくが、

何でもいいから今すぐやるべきことをやれ!

 

それもセミの如く

7日間しか生きられないつもりで

何をやったら後悔しないで死ねるかを考えて

取り組め!

 

そうすれば

たった7日で

前の週とは違う景色が

見えるようになるだろう。

祇園祭〜そうだ、京都へ帰ろう!〜

我が故郷、京都では7月祇園祭をやっている。

人が多いけれども、地元民としては大変嬉しいイベントだ。

 

今日は曳き初め。

news.yahoo.co.jp

 

熱気あふれる中、伝統行事の歴史の深さを身に染みた。

今月いっぱいは関西にいるので、

たっぷり満喫したいものだ。

アメリカ建国250周年を経て日本が哲学でできること

アメリカ建国250周年で大変めでたいところだが、まだ国家としては若い。

日本はアメリカとの連携を強めてきているが、それというのも、哲学的にはアメリカのプラグマティズム、特に西田幾多郎がウィリアム・ジェームズに影響を受けていることから見ても、アメリカ哲学の影響下にあって思想的にはアメリカの次に来る。

 

 

 

だが、日本もそろそろ100年以上も醸成させてきた日本哲学を持ってアメリカのプラグマティズム的な哲学と対等に対決すべき時が来たのではないだろうか。

とりあえずは西田幾多郎を読もう。

 

 

おまけ:アメリカの偉人と言葉

ジェームズ・マディソン(1751〜1836年)

「野望には、野望をもって対抗させなければならない」

トマス・ジェファーソン(1743〜1826年)

「すべての人は、平等につくられている」

「教会と国家の間に分離の壁を築く」

アレクシ・ド・トクヴィル(1805〜59年)

「社会の統治に関与し、それについて論ずることはアメリカ人の最大の仕事である」

エマ・ラザラス(1849〜87年)

「疲れ果て、貧しき者たち、自由の息吹を求めて身を寄せ合う民衆を、我に与えよ」

ジョン・ウィンスロップ(1588〜1649年)

「我々は丘の上の町になるべきだ。すべての人の目がわれわれに注がれている」

パトリック・ヘンリー(1736〜99年)

「自由を与えよ、さもなければ死を」

 

自由の女神🗽はアメリカに微笑むのか・・・

静岡県リニア容認 しかし環境への対応は?

リニアの着工へ長らく反対していた静岡県だが、

現鈴木知事がリニア着工を容認したそうだ。

www.yomiuri.co.jp

とはいえ、懸念の声が上がっているのは、大井川の水量が減るという報告をされたことで、環境への配慮が心配されている。

www.pref.shizuoka.jp

一応、環境への対応についての資料は出ているが、静岡県民、特に大井川の恩恵に預かっている人たちにとっては問題になるだろう。単に環境問題というだけでなく、倫理問題としても語りうる。すなわち、リニア利用者の利益を考慮するか、それとも大井川水量減少に対する環境保護を考慮するかという二点に分かれる。後者を犠牲にするとして、何らかの保障はあるとは思うのだが、果たしてそれだけで十分なのだろうか。

より深掘りすれば、リニア問題は、水量が減るか減らないかという科学的問題だけではなく、仮に科学的リスクが小さいとしても、「どの程度のリスクなら社会は受け入れるべきか」「誰がそのリスクを負うべきか」という倫理的問いが残る。


環境倫理学の三つの立場

(1) 人間中心主義(Anthropocentrism)

  • 自然は人間の利益のために利用される。
  • リニアは経済や利便性を高める公共事業である。
  • ただし住民への影響は最小限にする責任がある。

この立場では

「十分な補償と環境保全措置があれば事業は正当化されるか」

という問いになる。


(2) 生物中心主義(Biocentrism)

ここでは

南アルプスの生態系そのものに価値がある

という考えになる。静岡県が南アルプスの自然環境保全を強調している点とも関連する。


(3) 生態系中心主義(Ecocentrism)

この立場によると、

問題なのは

  • 地下水
  • 森林
  • 動植物

を一つのシステムとして考えることである。

県が懸念しているのも、大井川の健全な水循環や生態系への影響だ。


「予防原則(Precautionary Principle)」

環境倫理では

完全な科学的証明がないからといって環境保全を後回しにしてよいのか

という議論がある。

リニア問題も

「影響がないことが証明されるまで待つべきか」

それとも

「影響があることが証明されるまでは工事を進めるべきか」

という問題として整理できるだろう。これは環境政策全般にも通じる重要なテーマになる。


私も環境倫理については勉強不足なのだが、着工時期が2036年ということで気長に考えていきたい問題である。知事も変わってまた反対すれば、さらに着工は伸びるかもしれない。

参考文献(自分用)

  • アルド・レオポルド『野生のうたが聞こえる』(土地倫理)
  • アルネ・ネス(ディープ・エコロジー)たとえば、“The deep ecological movement; some philosophical aspects” Philosophical Inquiry 8, nos.1-2 (1986) など
  • 森岡正博「ディープエコロジー派の環境哲学・環境倫理学の射程」 科学基礎論研究 Vol.21, No.2 (1993) pp.85-90
  • ホームズ・ロルストン3世
  • ジョン・パスモア『自然に対する人間の責任』

あとこれが役に立ちそう。

caep-hu.sakura.ne.jp

主婦とグレネードランチャー

とある動画を見ていたら、「主婦がグレネードランチャーを所持していた」と言う事件が紹介されていて、「ああ、ありましたね」みたいな話になっていたので真偽を調べてみたら見つからなかった。AIによると、どうやら都市伝説界隈では鉄板ネタらしい。

実際にあった、「主婦」「グレネードランチャー」の事件としては、1957年のジラード事件というのが出てきた。

ja.wikipedia.org

ウィリアム・S・ジラード三等特技兵がM1ガーランド装着のM7グレネードランチャーで空薬莢を発射し、主婦が即死したという事件である。

この事件には確かに「主婦」「グレネードランチャー」という語が出ているが、都市伝説界隈で言われているような話ではない。しかし、おそらくこれらの語のインパクトから都市伝説が流布したと思われる。

まあそれはそれとして、「主婦」「グレネードランチャー」の組み合わせはなんだかインパクトがあって聞き手に関心を持たせる絶妙なものだなと思った。「ライフル」でもなく「核ミサイル」でもない、「グレネードランチャー」というのがちょうどいいという感覚は何なんだろうという気持ちになった。

 

どうやら調べたところによると、月村了衛氏によるアクション小説『ガンルージュ』という作品では、元公安の主婦と中学校の女性体育教師が特殊部隊と戦うストーリーが描かれ、作中にて「ソフトボールのバットでグレネードランチャーを打ち返す」というとんでもないシーンが描かれているらしい。

 

 

興味深いと思ったので、AmazonのKindleでまあまあ安かったから買ってみた。これから読んでみる。

宝塚の伝統園芸品つりしのぶが出荷されるらしい

さきほど見たニュース。兵庫県宝塚市の伝統園芸品「つりしのぶ」が出荷されるらしい。6年以上かけてつくられた品だそうだ。

news.yahoo.co.jp

いわゆる風鈴とはまた違う涼しさを感じさせてくれるような品。

暑い夏を乗り切るために飾っておくのはいいんじゃないでしょうか。

 

turishinobu.com

つりしのぶ園ではつりしのぶ作り講習会なるものもやっているそうな。

 

それにしても植物というのはいい。

動物倫理については最近哲学分野でも大いに議論されているが、植物哲学というのも最近出てきている。

 

 

私も一読しただけで内容はあまり覚えていないが、植物をモデルに哲学をするというのは興味深い試みだと思う。もう一度読んでみようかな。

あとこういうのも出ている。