ネアンデルタール人と現生人類は文化的価値を共有していた!?:人類学の新たな発見とカッシーラーの文化哲学への道

京都大学の発表によると、理化学研究科の森本直記准教授とトルコ・ガジアンテップ大学バイカラ・イスマイル教授らの研究チームが、トルコ南部のウチャーズリⅡ洞窟の調査でネアンデルタール人と現生人類ホモ・サピエンスの両方の化石を発見したそうだ。

www.kyoto-u.ac.jp

 

この発券の特徴としては、異なるとされていた人類種が2万年以上にわたって、共通の文化を維持していたという点にあるという。同じ手法で石器を製作し、同じ食糧調達戦略をもっていたそう。また、石器や食糧といった実用面だけでなく、文化的な共通性をもっていたということらしい。

実用面だけだと生物種の生存本能で済む話だが、文化の共通性まで共通しているとなると、特定の「役に立たないが美しい」、すなわち美的感覚・趣味を持ち合わせていたと言えるのだろう。

この研究は、トルコ(ガジアンテップ大学、黒海工科大学、アンカラ大学)、フランス(ボルドー大学)、日本の研究者による国際共同研究で、日本からは森本直記准教授以外にも、国立科学博物館の森田航研究主幹、福岡大学の石原与四郎助教が参画したそうだ。

 成果は米国の科学誌『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(通称PNAS;米国科学アカデミー紀要)』に掲載されたそう。

www.pnas.org

興味がある人は読んでみたらいいと思うし、僕も読んでみよう。

なぜなら、特定されるようなことは言いたくないが、どこぞの出版社から最近出た人類学系の書籍編集の手伝いをしており、人類学にちょうど関心を持っていたからである。

そういえば、文化と人類といえば、カッシーラーを想起させる。いつぞや、カッシーラーの『人間』の読書会をしていたことがある。それだけに、文化の話は人類にとって不可欠であろうからかなり重大な発見ではないだろうか。

 

 

確か熊野純彦先生がお書きになられた倫理の教科書も冒頭カッシーラーの文化の話だった気がする。

 

私たちは事実そのものではなく、言葉・イメージ・物語を通して世界を理解している。カッシーラーは当時のアームチェア人類学の影響を受けていたと読書会メンバーから聞いたことがあるが、今やそれが実証的に示されてきているあたりで人類学も進歩し続けているようだ。この点で、カッシーラーの文化哲学は現代のニュースの読み方にも示唆を与えてくれる。

 

それはそれとして、時期が違えばこのニュースも編集手伝った某書籍に載せられたのではないかと惜しい気持ちもあるが、まあ次の機会を待てばいい。学問は常に歩みを進み続けるのだ。