薄い本を読んでいくシリーズです。
薄いから読みやすい、と感じたあなたに朗報。
全然そんなことはありません。
そんなことないことの証左として
カール・シュミット『政治的神学』を読んだ感想を書いてみたいと思います。
表紙には
主権者とは、例外状態に対して決定する者である。
とか
近代国家論の主要な概念はすべて神学的概念を世俗化したものである。
とかいったことが書かれています。
一つ目の引用に関して、
第一章の「主権の定義」の内容がそれにあたるわけですが、
注意すべきは「例外状態」とは「何らかの緊急命令や戒厳状態」ではなく、
「国家の一般的概念として理解しなければならない」という一見パラドキシカルな記述から始まります。
そして、「例外状態に対する決定は、際立った意味での決定なのだ」と言われます。
シュミットはここでボダンを引用してきますが、
ボダンのことは名前しか知らないので飛ばします。
大事なのは、ボダンから〈決断〉概念を引き出したことだそうです。
第二章はなんか色々名前が出てきますが、
背景知識がないので飛ばしたいところです。
一言で言うと、最後のほうで<決断主義者>として
ホッブズの名前が挙がってくるところです。
シュミット視点からホッブズを読み直してみると
おもしろいでしょう。
そして、最初の引用の二つ目ですが、
第三章「政治的神学」にかかわってきます。
法学にとっては、例外状態は奇跡が神学にとってもつのと類似した意味をもっているそうですが、
啓蒙の合理主義は、あらゆる形式の例外事例を拒否したそうで、
有神論的神学からの類推によって、君主の人格的主権をイデオロギー的に支えようと試みることができたとのこと。
最終章となる第四章では「反革命の国家哲学」と題され、
まさに復古主義者こそ主権者の決定を守ることができたとされている。
逆に、プルードンをはじめとする反神学的無政府主義は性善説を取るが、
カトリックは奇跡こそ悪の勝利を防ぐことができると応戦する。
しかし、無政府主義者は政府の決定を悪とみなし、
決定の要求をすべて排除しようとする。
最終的には、無政府主義者は
理論的には反神学の神学者になり、実践的には反独裁の独裁者になっているという奇妙な逆説がみられるのである。
シュミット『政治的神学』100頁
と締めくくられる。
以上が本書の超ざっくりした内容だが、
政治における<決断主義>というのもおもしろそうだと思う
今日この頃であった。
