今日の薄い本シリーズは
キケロの『老年について』です。
昨今、日本は高齢化社会で、
私もそろそろ中年なので老後の生活が切迫してきているところですが、
老年について考えるための一冊だと思います。
本書は対話篇になっているんだが、老年を恐れるなという主張が通底している感じがする。
老年を惨めと思う理由として、
1). 公の活動から遠ざけるから
2). 肉体を弱くするから
3). ほとんど全ての快楽を奪い去るから
4). 死から遠く離れていないから
というものが一般に挙げられ、以上が検討される。
1). 公の活動から遠ざけるから
「老人は公の活動に与かっていない」というのは、「船を動かすにあたり、ある者はマストに登り、ある者は甲板を駆けまわり、ある者は淦を汲み出しているのに、船尾で舵を握りじっと坐っている舵取りは何もしていない」というようなものだという(『老年について』24頁)。
老年には「思慮・権威・見識」で大事業を成し遂げられる(同前)。
また、「記憶力は衰える」のではないかという疑問に対しては、
「鍛錬を怠った」場合や、「性魯鈍」の場合は確かにそうだろう。
しかし、そうでない実例が数々と挙げられる(同書、27~29頁)。
さらに、老年は「嫌われる」のではないかと言われるが、
むしろ徳への専心へと導いてくれる老人の教訓を若者は喜ぶ(同書、30頁)
2). 肉体を弱くするから
老人は肉体が弱るからという議論に対しては、
「静かで気負いのない話ぶりがふさわし」く、
「雄弁な老人の整然とした穏やかな演説はそれだけで傾聴を勝ち取る」と言われる(同書、33頁)。
そもそも体力が弱るのは青年期の悪習によるものであって、
老年になっても若者を指導できるだけの体力を温存していることが多いともいう(同書、33-34頁)。
また、老年には体力は要求されない。
法律と制度によって体力なしでは支えきれない義務からは免れるし、強制もされない(同書、38頁)。
3). ほとんど全ての快楽を奪い去るから
この批判については、むしろ青年時代の悪徳の最たるものであった、
肉体的欲望を自制でき、徳へと導くのである(同書、41-42頁)。
本書では書かれてないが、まあ性欲なんかがそうなんじゃないかと思われる。
また、若い頃は食欲で満たされるが、老年になると饗宴の場での会話を楽しむようになるというのもメリットの一つである(同書、46-48頁)。
さらに、心が平静になり学問や研究にも打ち込める。農業などにも精を出せる。などなど
4). 死から遠く離れていないから
死を恐れる老人に語る。
死というものは、もし魂をすっかり消滅させられるものならば無視してよいし、魂が永遠にあり続けるところへと導いてくれるものならば、待ち望みさえすべきだ。
キケロ『老年について』63頁
哲学者というものは死を恐れないということは、ソクラテスにも表れていると記述されている。その点については、前回書いた以下の記事を読んで確認してほしい。
雑感
さて、以上がキケロの挙げてきた老年に対する非難への応答になるが、
老いを恐れることはないのだと説得されるだろうか。
とはいえ、古代に比べて現代では「死」を恐れることはないだろう。
再生医療の発展により不死の可能性はますます高まっている。
人間は150歳まで生きられるのではないかというニュースが報じられた。
150歳まで生きられるのが本当だとすれば、
60歳や70歳なんて本当に子供のようなものだろう。
私はもうすぐ40代になるがまだ赤ん坊のようだ。
まだまだ生きられる。老いを恐れることはない。
老いを楽しむために
若い頃に研鑽を積むのがいいということだろう。
