アカデミック・エロース試論

本ブログを書こうと思ったのは

元々Twitterで下記のような発言をしたことがきっかけである。

 

 

アカデミアは言うまでもなく楽園である

そしてアカデミア内では俗世間の性愛規範に囚われず

誰もが誰とも交遊関係を結べるようにするのが望ましい

 

そのためアカデミアに残るためには

性的魅力を兼ね備えていなければならない

 

私の見ている限り

アカデミアに残っている者は皆

セックスアピールが強いように見える

 

業績や社交力も大事だが

何よりもエロティックな欲望を掻き立てることが

アカデミアをサバイヴする上で重要だろう

 

ところでプラトンの『国家』には哲人政治について語られている箇所で

次のように言われている。

しかしながら、思うに、女たちと男たちが生むことを許された年齢を超えたときは、われわれは男たちに、誰とでも好きな相手と自由に交わることを許すだろうーーただ、自分の娘や母や、娘の子供たちや母の母をのぞいて。また女たちにも、相手が息子や父や、息子の息子や父の父などの場合を除いて、同じ自由を与えるだろう。

                      プラトン『国家』(岩波文庫)371頁

国家の守護者たちには妻子の共有が認められるという

近年のポリコレ風潮には問題含みの箇所であり、

妻子を国家で共有するとか、そう言うのは修正されるべきだろう。

アカデミック・エロース論に即して読み替えるならば

哲学者は男女ともに家族という形式にとらわれず

哲学コミュニティのなかで自由に男女と交わってもよいということにならないだろうか。

 

哲人政治でそう命じられるところであるのならば

アカデミアも男女が自由に交わる状態を作って良いはずである。

 

夜の交わりも

甘美な夢