自分探しの旅

「自分探し」とは、何か。

巷で行われる類の自分探しというのはたいてい、中途半端に自分のことしか見ていない、気晴らしのお散歩にすぎない。


昨今の「自分探し」の結果は相場が決まっていて、「時間とお金を消費し、何も見つからず、何も知識が広がらなかったけど、なんとなく納得したフリをするだけ」という、見たくない現実から中途半端に逃げ続けたことによる、残念な光景が目の前に広がるだけに過ぎない。 


「探す」という動作に着目して、フィールドワークや調査研究と比べてしまうと、あまりにもお粗末としか言えない。 ただし、「自分探し」を全面否定して切り捨てたいわけではない。 ポイントは「中途半端か否か」という部分にある。

 

建設的な切り口を出すとすれば、「同じだけの時間と金額を、放浪の旅という中途半端なモノに使うのではなく、読書や小・中・高や大学の復習(あるいは先取り)など、全体像を掴める行動に費やせば良い」という、シンプルな発想になる。

 

特に哲学に身を費やすことがかえって自分探しになるかもしれない。

自分というものを本当につかむためには、それを外部に求めるのではなく、自己省察と自己内対話が必要となる。

 

デカルトは孤独な思索にふけってコギトにたどり着いた。

ただ、素人が真似をしたところで眠くなって終わりだろう。

 

そこでおススメなのはストア主義者の文章を読むことだ。

彼らは生き方について見事な知見を持ち合わせている。

 

 

 

ストア主義者と書籍を通じて対話をすることで、自己とは何かについて何か洞察が得られるといってよいだろう。

 

さっさとお仕着せの自分探しから卒業し、自分と自分の周りの世界を見渡して知識と行動を組み立てたほうが、よっぽど言葉本来の意味の「自分探し」ということになるはずだ。