東京帰還

ついに実家大阪から

東京に舞い戻りました!

 

 

約3週間半いたけど

リフレッシュになりました。

 

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↑実家のベランダから見えた夜景

 

 

ちなみに大阪万博には行っていません😭

万博反対派なのでそれを貫き通そうと思います!

 

思えば応用哲学会でクライマックスを迎え、

それからもフォロワーさんとオフ会をしたり

色々やりましたが、また大阪に帰れるといいな。

 

実は帰れる日が来るかもしれませんが、

まだ詳細は秘密です。

 

それにしても、東京はいい。

もうおそらく実家にいるよりも

東京にいる期間の方が長くなっている気がするから、

むしろこっちのがホームなんじゃないかなという感じです。

 

 

とにかくしばらくはまた東京にいますので

みんなよろしくな!!!

 

人類!

土日月祝のありがたみ

三連休はすばらしいと買いたことがあるが、

土日と祝日(火曜日)に月曜日を挟むと

さらに得した気分になる。

 

なぜならば、月曜日行ってから1日休んで

残り3日しかないからだ。

 

だが、多くの人は月曜日に有給休暇を入れているのではないか?

その程度ではまだまだだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は1ヶ月ずっと休みだ。

キケロ『友情について』〜薄い本と言えばこれでしょう〜

人間関係で悩む若者は多い。

特にSNS世代の人とつながりやすくなった人々にとっては

人間関係の悩みは尽きない。

そんなときは一度デジタルから離れて

キケロの『友情について』を読んでみてほしいものだ。

 

 

友情関係というのは、徳のある者同士の関係でなければならず、

おべっかや追従ではだめだという。

 

SNSを見てると、単に友人関係を結ぶというのではなく、

なんかインフルエンサーだったり、業界で著名な人だったりと

交流したがる人を見かけるが、そういうのは友情とは言えないだろう。

 

友人というのは「第二の自己」であって、

自分と徳を共有できている者同士で仲良くすればいいのだ。

 

昔、とある先生がこの書物を勧めてきた時に、

「真の友人なんて2,3人いればいいんですよ」とおっしゃっていたが、

まさにその通りだと思う。

 

SNSで承認欲求を満たすのも悪くない、というか私もそうしているが、

友人関係は数少ない人たちだけでやっていけるというものである。

代理戦争〜退職代行vs退職引き止め〜

退職代行サービスがついこの間流行っていたが、

今度は対抗して企業側が退職引き止めサービスを利用して

退職希望者を引き止めようというものができているらしい。

 

退職したい者と退職させたくない者との

代理戦争である。

 

だが、私は思う。

本当に退職したいと思っている人を引き止めようとしたところで

退職をやめるくらいなら最初から退職なんて考えないのではないか。

それに、よしんば退職をやめて嫌々職場にいたとて

インセンティブも上がらず、効率も悪いのではないかと思う。

 

だが、そうでもしなければならないほど

ブラックな会社なら話は別だろう。

とはいえ、そんな会社はもうダメなんだから

潔く潰してしまえばいいのではないかと思う。

 

ブラック企業は次々と淘汰され、

優良企業のみが利益を追求できる状態にするのが

健全な市場社会というものだろう。

 

無駄が多いからこそ日本経済は伸び悩んでいるのであり

無駄をなくしていってこそ成長が見込める。

 

したがって、この戦争が終わる頃には

企業社会は健全になっているということになるだろう。

 

ラグナロクは近い。

キケロ『老年について』〜薄い本と言えばこれでしょう〜

今日の薄い本シリーズは

キケロの『老年について』です。

昨今、日本は高齢化社会で、

私もそろそろ中年なので老後の生活が切迫してきているところですが、

老年について考えるための一冊だと思います。

 

本書は対話篇になっているんだが、老年を恐れるなという主張が通底している感じがする。

老年を惨めと思う理由として、

1). 公の活動から遠ざけるから

2). 肉体を弱くするから

3). ほとんど全ての快楽を奪い去るから

4). 死から遠く離れていないから

というものが一般に挙げられ、以上が検討される。

 

1). 公の活動から遠ざけるから

「老人は公の活動に与かっていない」というのは、「船を動かすにあたり、ある者はマストに登り、ある者は甲板を駆けまわり、ある者は淦を汲み出しているのに、船尾で舵を握りじっと坐っている舵取りは何もしていない」というようなものだという(『老年について』24頁)。

老年には「思慮・権威・見識」で大事業を成し遂げられる(同前)。

 

また、「記憶力は衰える」のではないかという疑問に対しては、

「鍛錬を怠った」場合や、「性魯鈍」の場合は確かにそうだろう。

しかし、そうでない実例が数々と挙げられる(同書、27~29頁)。

 

さらに、老年は「嫌われる」のではないかと言われるが、

むしろ徳への専心へと導いてくれる老人の教訓を若者は喜ぶ(同書、30頁)

 

2). 肉体を弱くするから

老人は肉体が弱るからという議論に対しては、

「静かで気負いのない話ぶりがふさわし」く、

「雄弁な老人の整然とした穏やかな演説はそれだけで傾聴を勝ち取る」と言われる(同書、33頁)。

 

そもそも体力が弱るのは青年期の悪習によるものであって、

老年になっても若者を指導できるだけの体力を温存していることが多いともいう(同書、33-34頁)。

 

また、老年には体力は要求されない。

法律と制度によって体力なしでは支えきれない義務からは免れるし、強制もされない(同書、38頁)。

 

3). ほとんど全ての快楽を奪い去るから

この批判については、むしろ青年時代の悪徳の最たるものであった、

肉体的欲望を自制でき、徳へと導くのである(同書、41-42頁)。

本書では書かれてないが、まあ性欲なんかがそうなんじゃないかと思われる。

また、若い頃は食欲で満たされるが、老年になると饗宴の場での会話を楽しむようになるというのもメリットの一つである(同書、46-48頁)。

さらに、心が平静になり学問や研究にも打ち込める。農業などにも精を出せる。などなど

 

4). 死から遠く離れていないから

死を恐れる老人に語る。

死というものは、もし魂をすっかり消滅させられるものならば無視してよいし、魂が永遠にあり続けるところへと導いてくれるものならば、待ち望みさえすべきだ。

                        キケロ『老年について』63頁

哲学者というものは死を恐れないということは、ソクラテスにも表れていると記述されている。その点については、前回書いた以下の記事を読んで確認してほしい。

 

sphinxthanrhapsody.net

 

雑感

さて、以上がキケロの挙げてきた老年に対する非難への応答になるが、

老いを恐れることはないのだと説得されるだろうか。

 

とはいえ、古代に比べて現代では「死」を恐れることはないだろう。

再生医療の発展により不死の可能性はますます高まっている。

実際、プーチン習近平は「不死」について議論し、

人間は150歳まで生きられるのではないかというニュースが報じられた。

www.bbc.com

 

150歳まで生きられるのが本当だとすれば、

60歳や70歳なんて本当に子供のようなものだろう。

私はもうすぐ40代になるがまだ赤ん坊のようだ。

まだまだ生きられる。老いを恐れることはない。

 

老いを楽しむために

若い頃に研鑽を積むのがいいということだろう。